フィリピン人従業員の給料の設定方法

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●いままでスタッフの給料を何回か決めてきた。喜んでくれたこともあるし、不満が耳に入ってきたことも何度もある。
誰もが納得する給与設定はありえない。業績評価とか、目標設定とか、あんなものは所詮、茶番である。
給料の決定は、おそらく永遠の課題だ。

●それでも、フィリピン人の給料に対する感覚にはいくつかの法則がある。
日本人のそれとは非常に異なっているので、給料決定の際に、日本人的感覚をひきずっていると、痛い目に遭う。というか、遭ってきた。

【法則1】いくらアップするかが関心ごとの全てである。

フィリピン人にとっての最大の関心ごとは、Δχつまり「前回の給料はいくら上がったか」であり、「絶対額」ではない。どんなにもともとの給料が平均額より突出して高い者でも、Δχが少なければふてくされる。これが【法則1】だ。だから、いつも来年のΔχを考えておかないと、痛い目に遭う。
例えば、
ケースA:ある年に1,500ペソアップさせ、翌年も1,500アップ。ケースB:ある年に3,000ペソアップさせ、翌年はアップゼロ。
この2つは払う側から見ればほとんど同じだが、Aの場合はニコニコ顔が2年間維持できる。Bの場合だと、1年目はニコニコだが、2年目は口を利いてくれない。大変なショックを受け、おそらく退職を考える。

【法則2】他人との比較ももっぱら、絶対額ではなくアップの額を比較する。

ケースC:ある人が、ある年、2,000ペソ上がった。自分もその人と同じようにすごく頑張ったつもりだったが、昇給は1,000だった。
これは非常に頻繁に起こりえるケースであり、ほとんどの不満はこのケースだ。「なんであいつは2,000アップなのに俺は1,000アップなんだ!」という不満である。頑張り具合とΔχがいつも比例していないと、不満に感じてしまうのである。「あいつだけは今回、特別なんだ」と説明しても、なかなか分かってくれない。
現実的に、頑張り具合とΔχが比例しないケースはしょっちゅう起こる。なぜかというと、給料と能力のアンバランスが大きくなってくると、どんな経営者でも、そのアンバランスを是正しようとして、時にはイレギュラーな昇給をせざるを得なくなることがおきるからだ。
なぜ、給料と能力のアンバランスがおきてしまうかというと、

  • 能力は低いのに昔からいるので、高くなってしまった。
  • 採用するときに前の給料が高かったので、やむを得ず、能力の割に高めの給料にせざるを得なかった。
  • 採用するときは、リーダー的役割を期待して、それなりの給料設定をしたが、雇ってみたら、全然リーダーの力を発揮してくれなかった。
  • 前の会社の給料が安かったので雇ってみたら、若いのにとても優秀で、給料は低いまま、Aクラス入りしてしまった。
  • 前任者からあるスタッフへの評価は低かったのだが、社長が交代し、見方も変わって評価が上がった。


といような理由からである。
イレギュラーな昇給をさせるときは、必ずその理由を説明しておかないと、非常にやっかいなことになる。

【法則3】他人と比較して満足しないくせに、不満を言うときは他人と比較をする。

フィリピン人は「他人と比較して多いから満足」とか、「平均よりかなり上だから満足」といった考え方をしない。
給料を決める我々側としては、全体を見渡しながらそれぞれの給料を決めるので、ついつい「こいつは、前からずいぶん高いから今回の昇給はこれでいいだろ。」というような相対的な感覚を持ち出して、それを理解してもらおうと考えてしまう。
しかし、このような理屈は、フィリピン人には全く通用しない。そもそも、全体の平均とか給与分布などというのは、個々のスタッフには見えないのだから、わかってもらえないのは当然といえば当然か。
以前、全体の分布の中で自分がどのあたりにいるのかというのを、一人一人に面接の時に、社長が口頭でさらっと説明したことがあったが、あまり目だった反応はなかった。全体の中での自分の位置づけなど、どうでもよいらしい。

【法則4】説明のない昇給は、やっても効果が無い。説明のない昇給減は、不満を倍増させるだけ。

日本人は、「言わなくても分かってくれるだろう」という感覚が非常に強い。なんでも言葉に出すことを必ずしもよしとしないし、言葉にないものを察することを美徳とする文化がある。
しかし、給料更改のときだけは、上がった理由・上がらなかった理由をきっちりと説明するようこころがける。言わなければ、上がった本人は何を評価されたのかわからないから、翌年、どう頑張っていいかわからない。上がらなかった人も何を改善していいのかわからない。これでは実弾としてのカネが生きてこない。(でも現実は、そんなにはっきりと説明するほどの根拠がないのが実情なのだが)

【法則4】常に基本給で考える。

どこの会社もベーシックとアロワンスに分けて給料を払っていると思うが、私はアロワンスは意味の無いものだと思っている。給料をモチベーションを高めるための実弾として考えるのであれば、弾として用をなしていないという意味である。
なぜかというと、彼らはほかの会社の友人と給料の話をしたり、同じ会社の仲間と給料の話をするときは、必ずベーシックの部分の金額のみで会話をする。つまり、ベーシックこそが給料であり、アロワンスはその名の通り、おまけというか、お小遣いのようなものとしか捉えられていない。逆さらに、アロワンスは残業代や退職金を低く抑えるための会社側の策略と捉えられるのが普通なので、極めて印象が悪い。
どこも給料のうち20%とか30%とかはアロワンスだと思うが、簡単に言ってしまえば、払っている金額の割には、あまり喜んでもらえていないのである。
A:ベーシック10,000+アロワンス5,000=合計15,000
B:ベーシック13,000+アロワンスゼロ=合計13,000
私ならBの方が、支払うカネのパフォーマンスが高いと感じる。開業したら、アロワンスは一切無しにする予定だ。(その方が計算も楽だし)

【法則5】年功序列は無視することが出来ない。

フィリピンでは年齢に関係なく、年上の人が年下の上司の下で働くということが当たり前だ。一見、完全に実力主義のようにも見えるが、この国では年功序列部分を切り捨てることは難しい。
なぜかというと、働くことの感覚が、日本人とはまるで違う。
彼らは会社で働くことを、「Serve(奉仕する)」という言い方をする。あるいは、「Sacrifice(犠牲)」。
これは、日本人から見れば、驚くべき感覚だ。
こっちとしては、定職が無い人の方が多い世の中で、働かせてやり、給料もきちんと払ってやっているのに、「奉仕している」とか「犠牲になっている」とは何事か!いやいや来るならやめたっていいんだぞ!とでも言いたくなってしまうような言葉である。しかし、一旦雇われた従業員からみると、会社に奉仕し自分の時間を犠牲にし、その対価として給料をもらっているという感覚に近い。
なので、長く会社にいる者は、長い間会社に奉仕している・長い時間を犠牲になっているのだから、その期間に見合った給料を払ってくれ、というのである。
これが給料の年功序列部分だ。
5年前からいる社員の給料が、昨日入社した社員の給料と同じになることが無いように、能力や成果と関係なく、毎年一定額の昇給を確保してやらないと反感を買う。

【法則6】出来高制はフィリピンになじまない。

実は、開業したら、給料の歩合部分を多くして、頑張れば頑張っただけ毎月の給料がどんどん増えるというシステムにしようと、ずっと考えていた時期があった。試算もいろいろした。そうすれば、死に物狂いでみんな頑張るのではないか、と思ったわけだ。
しかし、今の会社のリーダーの1人にそういう話をしたら、どうもウケが悪い。彼は、やめたほうがいい、と言う。私もいろいろ考えて、結局、出来高制はフィリピンにはなじまないという結論に至った。
まず理由の一つは、全員が私利私欲に走り、チームワークが無くなる。
2つめは、アウトプットの量を増やさんばかりに粗製濫造になる可能性がある。
3つめは、ずっと走り続けないと高い給料がもらえない。立ち止まると普通より低い給料になってしまう。これはフィリピン人の嫌う、ハイリスクハイリターンそのものである。
3月27日の日経新聞では非常に興味深い記事が出ていた。アメリカのあるクレジット・カード会社が、インドにコールセンターのようなものを作ったが、インド人スタッフ達が報奨金欲しさに、無理な契約をたくさんとってきてしまう。それが大問題になり、閉鎖に至った、というものである。
また『一倉定の経営心得』によると、「報奨金制度なる物は絶対に取り入れてはならない」とある。報奨金制度は「各人が勝手に行動してよい」と経営者が意思表示をすることにほかならず、経営権の放棄であるとまで言っている。どの社員も、会社の力を一つに結集しようなどと思わなくなる、というのである。

●このように給与の決定というのは実に大変で、誰もに喜んでもらえることはまず不可能だ。こういう、ごちゃごちゃした悩みを解決するには、とにかく同じ給料で採用して、毎年、ポジションが上がる人以外は全員同じ額だけ昇給させるのがいいのかもしれない。