海外駐在員は聖人君子でいよう

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●日本の親会社から派遣されてくる駐在員の給料は、現地スタッフの給料の20倍だ。
しかも、ふつう、現地会社の業績と、自分の給料は関連がない。
現地企業の業績が悪いからといって、給料が減る、という会社はおそらく無い。
もしもそんなことがあったら、誰もこんなところへ来たがらない。
業績と給料の関連が無いどころか、仮に現地での事業に失敗して、会社をたたむことになっても、日本には別の暖かい椅子が待っているのが普通だ。
極端な言い方をすれば、自分の会社のスタッフの離職率が高いとか、品質が上がらないといった問題を抱えていても、どうしたらいいかを、トイレに行っている間も車を運転しているときもずーっと考えて続けている人はあまりいないと思う。
2、3年すればまた別の人が赴任してくるから、ヘタな制度を新設してコケるよりも、マメに本部に連絡でもいれておいたほうが、サラリーマンとしてはよろしい。
まさに別世界に住んでいる。駐在員社長は実は、非常に気楽な商売(?)なのではないかとさえ思う。

●一方、駐在員社長であることのメリットも非常に大きい。
従業員との「ケタの違い」の経済力があることと、業績と自分の給料と関連がない、というこの「関係の無さ」のおかげで、多くの日本人は、基本的におおらかな気分で仕事をすることができる。
おおらかな気分とは、

  • 私利私欲・私情をはさまずに物事を見たり、判断すること。
  • 人をねたんだり、うらやんだり、ひがんだり、そういう感情を持たずに、ニュートラルでいること。
  • 会社の小銭を自分の懐に入れようなんてことも考えたりしないこと。せいぜい、会社のお金でカラオケにいっちゃうくらい。

そういうおおらかさだ。これを私は「聖人君子」と呼んでいる。
全ての駐在員は、『聖人君子』でいようと思えばいられるし、事実、私が出会った駐在員の人たちは、みんな聖人君子的な視点で、非常にフェアーに物事を判断している。
私自身も、マインドそのものはずっと6年間「聖人君子」だったつもりだ。
この点は自営企業に比べて、大きなメリットだと思う。

●現地で自分の会社を経営していた場合はどうなるか。
会社の業績は、自分の収入に直結だ。
スタッフの給料が上がれば、それなりの利益を増やさないと、経営を圧迫し、自分の収入が減っていく。
・買ったばかりの30万ペソもするコピー機をスタッフが壊したら、冷静でいられるか?
・エクセルの印刷設定を失敗して、ちょろっとしか印刷されていないページとかが大量にできてしまって、その失敗した紙をポイ、とか捨てられたら冷静でいられるか?
・しかもそれがカラーレーザープリンターだった日には?
そういう状況で、果たしていつもニコニコ聖人君子でいられるだろうか。
冷静な、長い目でみた判断が出来るだろうか。
細かいことにもピリピリして、このメルマガに書いていることの半分も実行できないのではないか、とさえ思う。
メルマガのタイトルに当初から「駐在員」と入れたのはそのためである。駐在員だとできることも、自営だとできなくなる、ということもけっこうあるだろうと思ったからだ。基本的に、自分自身のメンタルの振る舞いが大きく異なるのではないかと思う。

●ちなみに、経営をローカルスタッフに任せると、こうもいかない。
私利私欲・私情をはさむ傾向が強い人に対して偏見持つ傾向が強い。エコヒイキをしがちである。
たいした金額でもないのに、いちいち細かい規則や規制をつくりがち。
仕事よりも自分の体面が最優先。
オーソリティーを脅かされると、過剰な反応を起こす。
経費のかかる残業は自由にはさせないし、パソコンなどの機器や家具も、非常に古い。
経営の一部を任せられるローカルスタッフがいるとすれば、スタッフと3ランク以上の階級差がなければならないだろう。

●自分で会社を経営していくにあたって、怖いのは『貧すれば鈍し、鈍すれば貧する』という悪循環だ。
貧することもあるかもしれない。
でも鈍しないように気をつけたい。
そして、『粗』であっても『卑』にならぬように。
そして誠実に仕事をしていきたい。