フィリピン人従業員を公平に扱うことの難しさ

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●ここにいると、珍事件というのがたまに起こるのだが、私の体験した珍事件の中の一つに、「エドちゃん泣いちゃった事件」というのがある。

●仮称エドちゃんは、CADオペレータ、35歳男性。しかし、あまり難しいことが理解できないので、簡単な作図しか任せることが出来ない。しかし毎日遅刻せずに会社に来るし、冗談がとても面白いので、みんなに好かれていた。
ある日、スタッフ全員と1人ずつ、個室で面接をした時のことだ。
いつもニコニコしているエドちゃんが、部屋に入るなり、自分のチーム・リーダーであるキム君の文句を言い始めたのだ。
「キムはノー・グッドだ。キムはいっつも、俺の実力がここまでしかなかったら、そこまでの仕事しかくれない。他の人は、ちょっと難しい仕事をくれて、いろいろ教えてくれるのに、キムは、簡単な仕事しかくれない。いっぱい仕事を抱えてて、俺は手が空いているのに、俺にくれないで、他の人が手があくのを待っている。キムはいやだ!公平に扱ってくれない!」
エドちゃんは興奮のあまり、眼を真っ赤にして、ついにヒクヒク泣き出してしまった。

●その場にいた日本人は3人。みんな唖然としてしまった。私は、なんと言ってよいか、この時ほど返答に困ったことはない。
なぜなら、自分がキム君のように仕事を采配する立場だったら、彼と同じように、やはり簡単な図面しかエドちゃんに任せなかったかもしれない、と思ったからだ。手取り足取り、つきっきりで教えることは可能だが、ここは学校ではない。締め切りは守らなくてはならないし、間違いだらけの図面を出して私のような日本人に怒られるのも怖いし、ただでさえ仕事が多い中でエドちゃんの図面を自分で訂正するヒマもない。それに、「実力より高すぎず低すぎず、ちょっと上くらいの仕事」なんて、都合がよい仕事などそうそう無い。
しかしエドちゃんの気持ちもわかる。自分の手が空いているにもかかわらず、仕事を回してくれなかったりしたら、バカにされたようで、気分が悪い。少しずつでも向上したい、という気持ちもとてもよくわかる。本人にとっては、涙を流すほどの大事件なんだ、と思ったものだ。
この時、私はどっちの立場で言えばよいのか迷った。つまり
・リーダーのキムは間違っている。公平に扱うよう、よく注意しておく、と言うべきか・キムは当然のことをしたまでだ。難しい仕事が欲しいなら、自分の実力を示せ、と言うべきか。
結局、どう言うべきか判断がつかず、なんとなくその場は終わり、結局チーム編成を変えるということでお茶を濁してしまった。

●エドちゃんに限らず、フィリピン人は上司の采配が公平かどうかには大変に敏感である。
他には「リーダーBは、残業を厭わずやるスタッフと、あまりやらないスタッフを選別して扱うからいやだ」「リーダーCは、私のような者でも難しい仕事を任せてくれるから好きだ」というような事を聞いたことがある。
会社でも地域社会でも、フィリピンではとにかく「とりあえずみんな一緒」が基本であり、村八分的な扱いを非常に嫌う。(お菓子一つを配るのでも、必ず全員に配らなくてはいけない!)
この点はフィリピンで仕事をする難しさの一つだ。
つまり、実際には、全員を同じように扱うことなど不可能だから、能力によって使い分けざるを得ないのだけれども、あたかも公平に扱っているかのようにやらないといけない。あるいは、責任を全部自分でかぶる覚悟で、下の者にちょっと難しい仕事を任せたりしなくてはならない。
これは日本人にとってはワリと簡単である。なぜなら私利私欲と基本的に無関係になれるからだ。自分の会社でない限り、会社の業績と自分の給料はほとんどリンクしていないのが普通だ。
しかし、ローカルスタッフは、これがなかなか難しい。多くの者は、自分の評価だけを大切にするあまり、度量の広さを失ってしまう。リーダー的役割の者を選ぶ時は、そいつがこういった部分を持ち合わせているかどうかが重要になる。
私は基本的に、「マネジメントはローカルにどんどん委譲すべきだ」という意見に懐疑的だが、それは私利私欲のない成人君子のような者に出会うことが非常に少ないからだ。