映画Gloryに学ぶ、日本人駐在員の心得

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●アメリカ南北戦争を描いた映画で、「Glory」という映画がある(1989年)。戦争の無意味さや、人種差別について、史実に基づいて描かれた映画であるが、フィリピンで働く日本人駐在員にとって、非常に教訓の多い映画なので、一度見ることをお勧めする。

●映画のあらすじは以下のようなものだ。
育ちのいい白人将校が、奴隷解放を自分たちの手で勝ち取りたいと願う黒人たちのみで編成された部隊を任される。黒人たちはずっと奴隷として扱われてきたので、読み書きすらできず、また、規律という概念も存在しない。
主人公の白人将校は、行進の仕方から、ライフルの扱い方まで、徹底的に厳しく教え込ませる。その訓練の厳しさは、同僚の白人将校からも厳しすぎるのではないか、と非難の声が出るほどであった。他にも、黒人部隊を率いた白人将校はいたが、なかなか成果の上がらない戦闘訓練などはせず、黒人を使って居住者に対する略奪を繰り返し、私利私欲に走る者がいた。
一方、主人公が率いる黒人兵士たちの指揮はどんどん高まり、戦果を上げる。最後は巨大な砦に壊滅覚悟で立ち向かい、砦の占拠には成功するもののほぼ全員が戦死するという結末を迎える。

●この映画で、いろいろな意味で、白人将校は日本人駐在員、そして奴隷解放のために戦う黒人兵士は日系企業で働くフィリピン人従業員になぞらえると、非常に面白い。

【重要なシーンその1】
白人将校が黒人リーダー(演じるのは黒人名優モーガン・フリーマン!)に、「何か必要なものはないか、あればいつでも言ってくれ」という問いかけるシーンだ。それに対し黒人リーダーは即座に「靴が必要です」と答える。そして白人将校は「靴なら、わかっているよ。1週間も前から頼んでいるから、もう少し待ってくれたまえ。」と答える。すると、黒人リーダーが将校に向かって、「将校!それじゃあだめだ、今すぐに必要なのです。」と言い放つ。
白人将校は事の重大さを感じ、翌日、物資をつかさどる同じ白人将校に詰寄り、その日のうちに600足の靴と、1200足の靴下を手に入れる。
「リーダーたるものは奉仕者でなければならない。」という言葉があるが、このシーンはそれを描いている。階級ピラミッドの型を180度回転し、逆三角形にして、頂点にいたものは底辺にいるものを下から支えるような構図でなければならない。
フィリピン人スタッフに、働け働け、早くしろ、間違いばかりしやがって、と上から言いつづけるのではなく、仕事を効率よく進めるために何が必要で、なにを解決しなければならないのか、何か不満はないか、間違いを減らすためにはどういう指示や教育をすればいいのか、どういう手本を示せばいいのか、などを常にアンテナを張り巡らせて、考えなければならないということである。さらに、下からのリクエストに対しては、白人将校のように、「即日対応」を心がけなくてはならない。この繰り返しにより、単なる労使関係とは違った、映画に描かれているような強い信頼関係が生まれる。

【重要なシーンその2】
ライフルが得意な黒人青年に、連射の教育をするシーンがある。初めてライフルというものを手にしたある青年が、たまたま非常にスジがよく、百発百中で標的のガラス瓶打ち落とす。まわりの黒人兵隊たちが「すごいな、おまえ」と大騒ぎし、本人も嬉しそうにしている。そこに主人公の白人将校がつかつかとやってくる。
将校は、その青年に再び射撃の実演をさせるが、瓶を射抜いた直後にすかさず「次の弾を装填しろ!」「構えろ!打て!装填!」と矢継ぎ早に連射の指示を出す。さらに戦場での緊迫感を出すために頭の後ろで拳銃を空に向かって発射しながら、プレッシャーを与えつづける。青年はあまりの緊張でまるで思うように動けなくなる。
そして将校が、教育担当白人士官に、「優秀なスナイパーなら1分間に3発撃てなければならない。Teach them proper way.」と言って、去っていくというシーンだ。
緊張感のないところで単発でライフルを撃って的にあたったところで、戦場では何の意味もない、ちゃんと教えろということである。

このシーンの示唆することは3つある。
1つ目は、スタッフに対して、「喜んでもいいが、決して慢心するな」ということだ。フィリピン人を見ていると、誉めなければなかなか力を発揮しないが、少し誉めるとすぐ天狗になり、過信する傾向がある。自分はもうデキる、と思うフシがある。何かを習得して素直に喜ぶのは良いが、自分たちが目指すべき目標は他にもいくらでもあるのであって、決して現状に満足してはいけない、と言って聞かせる必要がある。
2つ目は、映画のシーンの中で将校が、「1分間に3発」というきわめて具体的な数値目標を示している点である。実社会の中でも、この数字を伝えるのと伝えないのとでは、雲泥の差があることは自明であろう。「タンクのオイルがなくなる前に注文しろ」と言うだけではなく、「オイルがこの線まで来たら注文しろ」とタンクに赤い線を引けるかどうかが重要なのである。(サンコービジネス望月さんの講演会より引用)
3つ目は、日本人駐在員に対してであるが、表面的なテクニックを教えるだけでなく、ものごとの本質、理論を教え込ませなければならない、という点である。フィリピン人は、大方のフィリピン経験者が語るように、手先が器用で、覚えるのも早い。単純作業も嫌がらずにこなすことができ、一見、「わりと優秀」に見える。しかし、多くのフィリピン人が表面的な知識しかもっておらず、全く応用が利かないし、創造力も無い。

日系企業の経営者は、フィリピン人に本質を教育する責任がある。フィリピンの労働力が安いからといって、そのうまみを、永遠に享受しつづけるのは奴隷制度と何ら変わらない。安い労働力を使う代わりに、本質的な何かを、しかも毅然たる厳しさで教える義務がある。そして、いつかは、日本人がいなくなっても自立できるようにしてあげなければならない。
しかし実際は、フィリピン人側にその意欲が全くなく、教わる気のないものに、教える無力さを味わうことの方が多く、非常に歯がゆい思いをする。
映画では、「誰のために我々は戦うのか、これは誰の戦争なのか」という問いかけがしばしば現れるが、フィリピン人の中にこの問いかけができる者は非常に少ない。大半は、「今日は楽しかった。明日も楽しく生きよう。」としか考えていないので、非常に残念なことである。