規則を作るな、規律をつくろう

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●フィリピン人は遅刻が多く、困るという話題が良く出る。定番の話題のひとつだろう。劣悪な交通事情と、時間にルーズな国民性とがあいまって、確かに遅刻は少なくない。
遅刻への対処方法として、罰則を設けたりするのが一般的だし、私たちも過去には罰金制度を設けたりしていたが、どんな罰則も実際にはあまり効果はなかった。
罰則を受けた時点で、罪は償ったと考えてしまい、罪悪感が生まれないからだ。

●面白い話を聞いた。
ある日本人の知り合いは、毎朝自宅から会社に行くために運転手を雇っていたが、その運転手はどうしても毎朝、5分、10分と遅刻をしていたそうだ(遅刻をする運転手と言うのもなかなか珍しいが)。いくら注意しても、なんだかんだと言い訳をして直らない。
ある日、その人は遅刻を無くす方法として、あることを実践した。罰金・罰則を設けるのではなく、「1分でも遅れたら、自分で車を運転して、とっとと出かけてしまう。」というものだった。
ドライバーは自分が遅刻すると車がなくなってしまうものだから、当然仕事もなくなる。「おまえは不要だ」と言われているようなものだ。「要らない」といわれることほど、フィリピン人にとって辛いことはない。とても恥ずかしいのだ。

●私のオフィスでのことだが、以前、大変に遅刻が多く、完全にモラルが崩壊していた。当時は人数も少なかったので、毎日、出社する順番を大きな紙に記録したり、30分しても来ない者に片っ端から電話をかけたり、罰金制度を設けたり、スタッフを定時に来させることにたいへんなエネルギーを費やした。それでも「なんか、あいつ、うるさいなぁ」と思われるくらいで、ほとんど改善されなかった。
ところが効果的な方法が1つだけあった。
仕事の配分を毎朝8時から9時の間にのみ行い、これに遅れたら「仕事なし」。
リーダーが遅れたら、チーム全体が「仕事なし」。
誰も叱ったりしない。罰金を払わされたりもしない。警告書もない。
ただ、「仕事なし」。
すると徐々に遅刻が減ってきたのだ。仕事の分配に間に合わないと、一日恥ずかしい思いをするので、遅刻するまいと会社に来るのである。
どんな罰金を設けるよりも、恥ずかしい思いをさせるという一種の罰則が非常に効果があったわけだ。
そのかわりこちらも、相手に恥をかかせるわけだから、真剣な態度で臨む必要がある。本気であることを示さなくてはならない。そしてもう一つ、定時に来た者を大切に扱うのも忘れてはならない。
時間通りに来る者の方が圧倒的多数になれば、もう大丈夫だ。遅刻をするのは恥ずかしいという雰囲気がだんだんに出来上がり、全体的にピリッと引き締まってくる。これが規律だ。

●同じように、私語が多いから私語を禁止するとか、業務中の携帯電話が多いからこれを禁止する、というのは、やりかたとしては間違っている。
規則をどんどん増やして規則で縛ろうとするのは簡単だが、当の本人たちが「悪いことだ」と感じていなければ、規律正しい職場と言うのはいつまでたっても完成しない。
明文化された規則を設ける前に、なんとか規律を作ることを試みた方がいい。

●『規律』というのはとても不思議なもので一旦出来てしまうと、新しく入った社員にも、無言のうちにそれが継承される。『規律』は維持するためにそれほどエネルギーをかけなくても済むのである。逆に罰則のような『規則』は、その規則がなくなってしまえば、その時点で効果は消えてしまう。
規律と言うのは、いざ作ろうとしてもなかなかうまく作れるようなものではない。でも作ろうとしなければ、永遠に生まれないのも事実だ。