日本人が抵抗を感じるフィリピン文化

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●フィリピン人の考え方には慣れたつもりだが、いまだに、強い抵抗感を感じる場面がいくつかある。
一言で言えば、階級社会。

●場面その1
パソコンのモニターを特定の人間には2つずつ配備して、図面のチェックをやりやすくしようと思ったときのことだ。そうすれば右の画面に平面図、左の画面に展開図という使い方ができる。普通の1画面だと、1つの画面を細かく分割せざるをえず、えらく表示範囲が狭いので作業がやりにくい時がある。
一番トップの人間(Aとする)に、
「お前、モニター2個あった方がいいだろ。」というと
「はい、2個あるとやりやすいです。」
「じゃあ、下のリーダークラス全員も含めて、2個ずつにするか。」
「いえ、リーダーは後でいいです。私だけ。」
「・・・」
この返事を聞いて、唖然。これは自分の階級特権を非常に強く意識した発言だ。フィリピン人特有の感覚で、日本人にはない。
聞いた瞬間、「ああ、こいつでさえこういう意識か。気持ちワル 。」と思ったものだ。
液晶モニターなんて、いまや1台3万円。追加のビデオカードは7000円。アップグレードも要らなければ、税金もかからない。数年間使うことができる。たいした出費ではないのだから、リーダーたちにも置いてやると会社が提案しているのに、「自分だけでよい」とはなんなのだろう。
Aの心情はこうだ。
まずは自分だけが2台のモニターを使って、どうだとばかりにポジションの差を見せつける。
その後しばらくたってから、「お前達にもそろそろくれてやろう」と、下の者には時間差で配備する。
モニター2台という特権が下のものと同時に付与されるのが我慢できないらしい。

●場面その2
勤続年数10年、48歳のリーダー役のおじさん(Rとする)を別室に呼んで話をした。話の内容は、簡単に言えば、今まで33歳のAと、この48歳のRが組織図の上では並行の位置だったが、4月から若いAの方を上にしてグループの代表にしたい、という内容だ。やっている仕事は全く別なので、仕事に干渉してくることは起こりえない。
一応、年齢がはるかに上であるRのプライドとかもあるだろうから、本人に先に話だけしておこうと思ったのだ。多分、軽く了解されるだろうと思ったのだが甘かった。
私が書いた新しい組織図を見て説明すると、にわかに顔が曇った。うつむいてしまって、もう泣きそうな感じだ。
「・・・私は別にかまわない。一生懸命働きます。だけど・・・」
「だけど?」
「この組織図を他の人が見たら、多分、いろいろまわりは言うと思う。”Rは10年も勤めているのにAに先を越されてやがる”とか。そういうのが嫌です。」
「そんなことを言うやつがいるのか。」
「フィリピン人、みんなそうです。それがフィリピン人のメンタリティです。例えば、私の部下のJは、4年も会社にいるのにポジションが無いから、飲んでいる席で別の部署のMにバカにされて、すごく傷ついていました。」
フィリピン人は、それがたとえ見かけに過ぎなくても何かポジションを欲しがる。こういった周りからのノイズを打ち消すために欲しい、ということも多いようだ。歴史の長い会社でポジションがやたらに多いところがあるが、こういう理由から自然に増えていってしまうのだろう。
見かけにやたらとこだわるフィリピン人の特質がよく現れている。
ここで興味深いのは、被害者とも言うべきRやJが他人に対してこういう事を言わないのかというとそうではなく、自分たちも言っていて、お互い様という点だ。

●場面その3
オフィスでゴミを集めたり掃除をしたりする人間はユーティリティとかボーイと呼ばれ、オフィスの中では一番階級が低い。
普通のオフィスワーカーは、普段はごく普通に彼らと接しているのだが、たまにこういう陰口も聞こえてくる。
「掃除の仕方がなってない。警告書を出すべきだ。」とか
「あいつはこないだ、これだけ給料が上がった。上げる必要ない。」とか
「仕事をいつも怠けている、交替した方がいい。」とか。
今のユーティリティ係(Yとする)は延べ6年で4人目だが、私から見ると一番働きがいい。たとえ交替したとしても、彼よりいい人物が入る確率の方が低い。
一般ワーカーの連中が彼に関する不満を言うのは、自分より身分が下のものには何でも言えるから、好きなように言っているに過ぎない。
不満があるなら、自分たちで好きなように教育すればいいじゃないか、と思う。それをせずに、警告書だとか交替だとか強権発動の方向へ行ってしまう。
これははっきりいってフィリピンにおける士農工商・えた・ひにんみたいなものだと私は思っている。とにかく、一番身分の低い者を置いておくことにより、他の99%の人間を満足させようとしている。
こういう階級意識には抵抗を感じる。
さらにおまけがあって、パーティなどに行くと、このユーティリティ係も今度は、ここぞとばかりにウェイターに向かって「おい、アイスティー持って来い」などといばりはじめることがある。この国では見下されている者ほど、人を見下す。(金が無い者ほど、者を粗末にすることに、どこか似ている)

●何事においてもこういう調子だから、組織図だとか役職の名前を付ける時は、本当に気を遣う。組織図を書いて発表したら最後、それが新しい秩序のよりどころになる。基本的に組織図で自分の上にいる人の指示にしか従わないし、自分の下にいる人間にしか口を出せない。まさに軍隊だ。新しいコンピューターを配布する時も、きちんと順番を守らなくてはならない。
だから日本流に「お前はこのあたりの集団の面倒を見ろ」とか「お前は先輩達の指示に従え」と言葉であいまいに言ったって、組織図上そのようになっていなければ本人は何も行動することが出来ない。
「ではそのように組織図なり、レターなりを発行して、オーソリティ(権威)を与えてください。」と逆に言われるのがオチだ。

●言い換えれば、フィリピンは、ぐちゃぐちゃの人間が集まっているから、組織図や役職に盲目的に従ってくれないと、国全体が機能しないともいえる。
ドバイに行ったフィリピン人が、口々に
「インド人はめちゃくちゃだ。スタンダードも何も無い、好き勝手に図面を書きやがる。」
と言っていた。インドも相当めちゃくちゃなのだろう。だからカースト制度というものがあるのかもしれない。
とすれば、この多くの日本人が抵抗を感じる階級意識も、フィリピンには不可欠なものだということになる。