ポジションの重要性

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●フィリピン人は、仕事をする上で年齢や性別はあまり意識しないが、ポジションとか机の位置といったことには異常なくらいに神経質だ。
フィリピンの銀行へいって観察するとよくわかるように、ポジションが上がると机の位置が後ろに下り、従業員を見渡せる位置になる。机の前には相談する人が座るための椅子が置いてあったりなんかする。
さらにポジションが上に行けば、もっと後ろの位置に下り、やがては個室に入り、そのうち階が移動して、上の階にいったりする。
銀行で待たされている間とかに、「あいつもうまいこと上司に取り入って、あの席を確保したんだろうな。」なんて思い巡らせて見ると、素敵な笑顔もイヤな感じに見えてきたりして面白い。(一番イヤミなのは俺か。)

●先日、日本へ1年間の研修に行ってきたスタッフA君が戻ってきた。
私は彼が帰国する半年前から、彼の帰国後のポジションをどうするかをずっと悩みつづけなくてはならなかった。
A君は日本へ出発した時は、リーダーより上のポジションだったのだが、彼が日本に行っている間に、彼と同じポジションだった別のBさんがメキメキと頭角をあらわした。
A君とBさんの差が顕著になったため、A君が日本に行っている間に、BさんをA君のに上のポジションに昇格させた。
通常であればA君がフィリピンに戻ってきたら、Bさん→A君→リーダーという序列になるべきなのだが、たかだか40人しかいない会社に多くの階層を用意しても機能しないことが目に見えていた。
ということで私は思い切って、A君をリーダーと同じ仕事をさせることにした。
つまり、Bさん→A君および他のリーダーという風にした。
つまりA君にしてみれば、日本に出発時にはリーダーの上だったのに、戻ってきたら自分の下にいた人間と同じリーダー役になってしまったというわけだ。これは本人にとってはあまり面白くない出来事だ。

●フィリピン人がこういうポジションに非常にセンシティブであることは承知していた
ので、A君が日本にいる時から「キミは戻ったらチームを持ってもっらうから」という話をしておいた。
ところが、そんな程度ではまったく不十分だった。

●先日のA君との面接では、また一つのことを勉強させられた。
A君いわく、「自分がただのリーダーに戻ってしまったのは理解できるし、構わない。
だけど、どうしてこうなったのかをきちんと説明して欲しい。一番嫌なのは、『適当に扱われること』です。」
そういえば、「キミは戻ったらチームを持ってもっらうから」と言うこと以外に、何も説明していなかった。
彼とはもう7年以上のつきあいであり、分かってくれているだろうという甘えが私のほうにあった。日本人の悪いクセだ。
私は彼に、他に考えられた選択肢を3つほど示し、その中で今の形が一番いいと判断したこと、彼が降格したのではなく、1年のうちにこっちにいるスタッフが昇格したんだ、というような説明をした。彼との面接は1時間くらいにおよんだ。おかげですっきりとしてくれたようではあるが、説明をしなかった私の失敗だった。

●あとで別のスタッフから聞いた話では、そのA君は、親しい者には「なんで俺の机はこっち向きなんだ?こっち向きのはずなのにな」というようなことまで言っていたそうである。
日系企業に8年勤めていても、こういった階級感覚というのが無くなるわけではないのだなと、逆に新鮮な思いがしたものだ。
特に日本に1年行って帰ってきたからには、何か目に見える『差』を見せ付けないと、示しがつかないとでも思っているようだ。

●私は他国での企業の様子と言うのは全く知らないが、映画や書籍などから察するに、きっと欧米もフィリピンと同じであると思う。あまり役職を気にせず仕事をする日本の方が特殊なのではないだろうか。職場で小さなパーティーをやって、そのパーティーを片付けを部長から平社員まで一緒になってやるという光景は、日本でしか見られないのではないだろうか。
フィリピンや欧米では、机の位置でポジションが一目でわかるようになっているので、「来年はそろそろあっち側に座れるかな」「この仕事を成功させれば念願の個室だ」というように、良い動機付けとしても立派に機能しているのだろう。

●フィリピンで働かせて頂くには、こういう階級感覚を尊重しなければうまく運営できないと分かっている。しかしながら私も日本人なので、こういうポジションに強くこだわる感覚は、本来、大嫌いだ。
プロジェクトの遂行や客の満足よりも自分の立場優先を優先してしまうことが、あまりに多いからだ。だからフィリピンでは10年経ってもプロジェクトXのようなエピソードは一つも出てこないだろう。