ここがだめだよ(その1)間違いが多い

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●フィリピンで働いていると、フィリピン人の欠点がいろいろ目に付き、文句ばかり言いたくなるものだ。
私の場合、不満に思うことを挙げろ、と言われたら次のことを挙げる。
1:間違いが多い。
2:思考が浅い。
3:集中力がない。
4:計算力がない。
他にも
5:時間にルーズ。
6:権利を主張するが義務は果たさない。
などそれこそ数え上げたらきりが無いかもしれないが、私が切迫した問題だと感じるのは、まず、最初の4つである。

●フィリピン人の間違いの多さは、日本人の想像を絶するレベルだと思う。私の感覚では、その間違いの量は日本人の「10倍」。初めてフィリピンに乗り込んだときは、この間違いの多さに呆れ、あきらめようとしたときもある。
図面を書かせれば、40ヶ所間違える。店に何かを注文すると、違う物を持ってくる。DSLの接続をさせると、間違った配線をする。
日常生活でも業務でも、何かをやらせれば、必ず間違えているものだという思わなくてはいけない。

●以前、あまりの間違いの多さに頭を痛め、一つ一つの間違いがなぜ起きたのかを考えたことがある。それをフローチャートのようにプログラム化し、間違いを発見するごとに本人を呼んで、質問にYES、NOで答えさせ、その間違いに対する対処方法を調べようと試みたことがあった(実現はしなかった)。
よくこんなことを、くどくど考えていたな、と思うのだが、それほどの間違いの多さに困っていたのだ。
その時の分析によるとこんな感じだ。

●まず間違いを
A:指摘されても間違いだと分からない種類の間違い
B:指摘されれば間違いだと分かる種類の間違い
の2つに分ける。

●A:指摘されても間違いだと分からない種類の間違いは、さらに
 無知による間違いの場合、 → 教育する。教える側に責任がある。
 間違った思い込みによる間違いの場合、 → 教育する。教える側に責任がある。
いずれにせよ、放置すれば何度でも同じことを繰り返す可能性があり、教える側の責任である。

●B:指摘されれば間違いだと分かる種類の間違い
 → 必要なチェックをしなかった場合
   → チェックの仕方を知っているがしなかった。
     (チェックしていれば、おそらく発見できた)
       → 厳重注意!
   → チェックの仕方を知らなかったのでしなかった。
     (チェックしていれば、おそらく発見できた)
       → 教育する。教える側に責任がある。
   → 発見するための明確なチェック方法が無い。
       → 予期できない深刻なヒューマンエラー 厳重注意!
 → 必要なチェックをしていた場合
   → 正しい方法でチェックをしたが、見落とした。
     (もう一度同じ手順でチェックすれば発見できる)
       → ヒューマンエラー。無罪放免。
   → チェックはしたが、チェック方法を間違えていたので発見できなかったミス。
     (チェックの方法が間違えているので、何度チェックを繰り返しても
      発見できない)
       → 教育する。教える側に責任がある。

●トヨタの「なぜを5回」の思想のように、あるエラーに対して、しつこくしつこく、その理由をほじくっていくわけだ。
すると、我々がスタッフの間違いに対して厳重注意しても良い時というのは、意外に多くなくて、上に挙げた中の
1:スタッフにチェック方法を教えてあるにも関わらずそれを怠ったときと、あとせいぜい、
2:予期できないヒューマンエラーのうち深刻なもの
の2通りしかないということになる。他は全て、教えていない日本人に責任があるか、人間なら誰でもやるヒューマンエラーである。

●つまり、エラーに対しては、エラーの原因を分析し、叱ってよい時エラーであれば徹底的に叱り、そうでないときは焦らず一つ一つ教える必要があるということである。
・・・と頭では思うのであるが、これがなかなか・・・である。