ここがだめだよ(その2)考えない

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●最初にお断りしておくが、日本人にもバカから天才までいろんな人がいるように、フィリピン人にもいろんな人がいる。

しかし、我々がフィリピンに進出して仕事をするのは、安い賃金で人を雇えるからであって、普通、月給3万ペソ(6万円)とか5万ペソ(10万円)といった高給取りのスタッフを使うことはほとんど無い。どの企業でも、多いのはやはり8000ペソ 20000ペソ、中でも10000ペソ前後に集中している。

だからここでの話は、この10000ペソ前後の給与レベルのフィリピン人に限定して書いていると思っていただきたい。
そうはいっても、社員を「建築学科の大学卒業」「CADオペ経験あり」で募集すると、100人以上があっという間に集まり、過去の給料を履歴書に書かせると、8000 16000に集中しているので、10000ペソ前後の給料というのは普通に大学を出た、一般的なフィリピン人像だと考えても良いと思う。

●さて、こうやって集まった人たちは、間違いなく、相当に基礎学力が低い。それはもう、驚くほど低い。笑っちゃうほど低い。

なので試験を何度もやって、厳選に厳選を重ね、10人以下に絞るのだが、それで残った者が素晴らしいかというと、とんでもない。

とにかく「考える」ということをしない。それはあたかも、この人たちは「考えること」をわざわざ拒否しているんじゃないか、と思うくらいに「考える」ということをしない。

例えば、会社に入ったばかりの新人に、手書きのラフなスケッチをCADで入力するように依頼したとする。まず10人中9人は、そのまま書き写す。自分では意味が分からない線も、原稿の間違いもなにもかも、とにかくそのまま写し、「はいできました」と持ってくる。中には、紙のシワやセロテープの跡までCADで書き写す者もいる(笑い話ではなく、本当の話だ)。

書いた本人に、「これ、何の線?」とある一本の線を指し示すと、「分かりません」と答える。「意味もわからないのに君は書いたのか?」と聞くと、もうすでにこっちの質問の意味が分からない。「原稿に線があるから線を引いたのに、何をこの日本人は言っているんだ?」と言った顔をして、ぽかーんとしてしまう。

次に日本人が言う言葉はこうだ。

「分からない時は質問しなければダメだろう。」

しかし、入社したてのフィリピン人にとっては、「自分で何がわからないかが分からない」から、質問なんてなかなかできないのが普通である。質問するということ自体、もうすでに相当高度な領域なのである。

●日本と違い、この国の設計業界では、デザイナー、エンジニア、CADオペレータとハッキリと分かれている。分かれているまではいい。アメリカだってそうだから、別に構わないと思うのだが、問題は、ほとんどのオペレータが「考えるのは私の役目ではありません」「チェックは私の仕事ではありません」と考えているし、エンジニアも考えることを要求していないところである。

一人一人に考えるクセをつけさせるのに、最低、1年かかる。これがこの国の偽らざる現状だ。

●安い労働力を使ってコストダウンを図っていこうと考えるのならば、まず思考しない人を、最初は間違っていてもいいから思考させるクセをつけさせるところから始まるというわけだ。なんとも気の遠くなる話だ。

しかし一方では、こんなかったるいことは最初から放棄して、「考えなくてもできる仕事だけを、人海戦術でやらせる」というのもある。部品の組み立て工場などは、それに近いだろう。

●どんなスタッフでも、1年しごけば「思考」ができるようになるかというと、そうでもない。思考させるクセがつくと考えることに喜びを感じ、眼を輝かせる者(思考派)もいれば、思考するのは嫌だ、俺は単純作業を黙々とやっていたい(体力派)、という者もいる。私の感覚では、この思考派:体力派の割合は4:6くらいではないかと思う。