止まらない海外流出

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●2日前、あるスタッフ(ジン仮名=女性)が私のところへやってきて、こう言った。
「今日、辞表を出します。今月で辞めます。」
一瞬、冗談を言っているのかと思った。
スタッフの辞職にはさほど驚かないが、彼女は今まで辞めていったスタッフとは違い、彼女は超Aクラス。作図は40人の中でおそらく一番速く、しかも間違いがほとんどない。集中力も抜群。サブリーダーの役割も与えていたし、今月の昇給も+2000ペソだったので、「まさかこの子が」と思ってしまったのだ。
「・・・・は? 何?」
と聞き返すと、
「家族のビジネスがうまく行かなくて、それを何とか手伝わないといけなくなった。それで、あーで、こうで・・・。」
「ちょっと待った、ここでは聞けない、あっちへ行って話そう。」
会議室へ向かう途中、アンドリューというスタッフに「おい、お前も来い」と声をかけた。アンドリューはその子の彼氏であり、出社も退社も一緒。資金さえあればいつでも結婚、という間柄だった。
会議室に入り、一通り彼女の話を聞き終え、アンドリューに聞いた。
「お前ももちろん聞いてるんだよな。」
「はい。実は、僕も辞めるんです。」
「・・・は?・・・お前も辞めちゃうの?」
「はい。ドバイへ行きます。」
「・・・ドバイ!またドバイか!」
「私も、家族のトラブルが解決したらドバイにいこうと思います。」
とジンも言う。
ドバイとはアラブ首長国連邦のうちの1つだ。立て続けにこの事務所から3名がドバイ行きを決め、退職している。これで4人目だ。

●この2名の退職はさすがにショッキングだった。その理由は
・いままでの退職者と違い、強力な戦力だった。
・年末のボーナスでそれぞれ25000ペソ、30000ペソを支給しており、フィリピンの企業の中では破格のはずである。もちろん13ヶ月ボーナスとは別に支給しているし、夏にも支給している。
・同じく、今月からそれぞれ+1000ペソ、+2000ペソという昇給であり、決して悪くないはずだ。
・仕事の上で、コミュニケーションも十分だったし、何のトラブルもなかった。退職の兆候も全く見えなかった。(ただし電話はかなり多かった)

●退職を決めた以上、基本的に慰留を試みても無駄なので、そういうことはしない。が、いくつかの質問をした。
会社のマネジメントに何か不満はあるか。
答 「何もありません。仲間も素晴らしい。ただし給料が少ないです。」
フィリピンで標準的な生活を家族と共に維持するのにいくら必要か。
答 「25000ペソです。1人だけが25000では不十分で夫婦2人が25000ずつ、合計50000ペソです。」
この会社の給料は他と比べて低いと思うか。
答 「いえ、高いと思います。」
ではなぜ?
答 「海外の給与水準に比べたら、かないません。」

●家に帰ってあれこれ考え、とりあえずこのような結論を出した。
・フィリピン人スタッフの60%は、常に海外出稼ぎを視野に入れている。
・フィリピン人スタッフの80%が、会社勤めをやめ、いつかは自分のビジネスを持ちたいと考えている。
・上記のことを考えている者を、ずっと会社につなぎ止めようと思ったら、小手先の昇給やボーナスはあまり意味をなさない。月給25000ペソが必要である。
・ある年の昇給がゼロに近いとすると、転職をまず考え始める。
・その翌年も昇給がゼロに近かったとすると、70%の確率で退職する。
・親類縁者の中に一人でも海外在住の者がいれば、その縁を頼って100%海外転出を視野に入れている。
・逆に、親類縁者に海外在住者がおらず、フィリピンに骨をうずめる覚悟のフィリピン人を引き止める場合は、15000ペソが一応の目安と思われる。
・結婚式を挙げるお金を貯めるために、海外に出稼ぎに行くことが多い。
・海外出稼ぎへ行く者のうち100%が、出発前に、「フィリピンに戻ってきたらまたここで働きたい」という旨のことを言う。(愛社精神ではなく保険をかけておきたいだけ)
・フィリピン人は飽きっぽく、同じ会社で3年働けば、長い方。5年でベテラン。10年は稀。

●中近東へ、CADオペクラスが出稼ぎに行くと、ペソにして月収40000 50000ペソが相場である。10000ペソのCADオペであれば、ざっと4倍から5倍だ。であるから、この相場と競り合うことは事実上不可能である。
彼らは必ず、既に中近東に渡っている親類縁者を頼って行く。とりあえず、UAEに行き、親類縁者の家に居候し、それから仕事を探す。仕事が見つかるとビザをもらえるので、一旦手続きのためにフィリピンに戻るが、すぐにまたUAEに戻る。仕事が見つかっても生活費を切り詰めるために、数人で共同生活するのが通常だ。そして毎月家族に仕送りをしながら、みずからも貯金をする。(フィリピン人は貯金をしないダメな国民だ、というが、しないのではなくできないだけである)
契約期間は1年とか2年なので、それが延長できない場合はフィリピンに戻らねばならないので、そのときの仕事を確保するために、「また戻ってきてもいいか?」と元の会社に聞くわけだ。

●日系企業の中には、この出戻り組を受け入れる会社と受け入れない会社とがある。我々は、「通常の入社試験をもう一度パスしない限り、絶対に受け入れない。」という方針であったが、最近、その考えもゆらぎつつある。
戻ってきた者はまた話が来れば出かけるのが明らかなので、ただの腰掛けである。他のスタッフの影響を考えると、そういう者には会社にいてほしくないし、月給が4倍だ5倍だ、という話をされると他のスタッフまで出稼ぎに行ってしまう危険性がある。
しかし、見方を変えると、本当に腰掛であれば毎年昇給ゼロでも不満を言わない可能性がある。つまり、出稼ぎ帰りの者を集めて、次の出稼ぎまでの間、定額で使う。会社の仕事の仕方は教える必要が無いので、即戦力になる。バッターボックスに立つまでの、ウェイティング・エリアというわけだ。

●フィリピン国民は、全員がチャンスがあればフィリピンから脱出したい、と考えているように思う。
アメリカ、カナダ、イギリス、シンガポール、中近東。
フィリピンでの生活は、そのチャンスが来るまでの、仮の姿なのではないだろうか。
実際、UAEからアメリカへのビザはフィリピンでビザを取るより簡単である、という話も聞いたことがある。だとすれば、UAEへの出稼ぎも、アメリカ行きの単なる1ステップということになるわけで、なんとも壮大なプランだ。
さらにアメリカに渡り、ある条件(詳しくないので分からないが)を満たせば永住ビザを取得できる。そうすればフィリピンにいる家族を根こそぎ移住させることができる。
これが彼らの人生ゲームの最も成功した「アガリ」の一つだ。
実際、7年前にいたスタッフの一人が、アメリカに行っており、「アガリ」目前である。彼は、手書きの図面のスタッフであったが、なぜか5時過ぎると、独りでCADの練習をしていた。いま思えば、それはアメリカで職を見つけるための自己訓練だったわけだ。大きな目標がありさえすれば、独学でも勉強するのか!と驚いたものだ。
また、既婚者はビザが取得しにくいような理由から、そのスタッフは妻や子供がいるにもかかわらず未婚の状態だった。「全てはアメリカ行きのため」だったわけだ。

●こういったことに、大変な虚しさを感じる。
中流層は海外永住を夢に見る。メイドでさえもカナダで介護の仕事をしたいと夢に見る。富裕層は国が倒れそうになったら、すぐにフィリピンを見捨てて、いくらでも海外に移住できるから、ただビジネスのためにフィリピンにいるようなものだ。
誰がこの国を良くしよう思っているのか。ひょっとしたら全員脱出したがっていて、すでに見捨てられているのではないかと。

●会社では、やれボーナスだ、5%の昇給だ、といって社員を喜ばせたところで、海外での給与に比べれば雀の涙。毎月支払う給与でさえ、海外移住までの仮の生活手当てのように思えてくるのである。
この国で仕事を続けるということは、海外へ巣立っていくフィリピン人たちを見送る数だけが増え、また新たな予備軍を雇い、また見送る、ということを繰り返すということなのかなぁ、と。