リーダーはどこから連れてくるか

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●過去の苦労をふりかえってみると、急に自分の仕事が楽になってきた時期があった。
それは、フィリピン人のリーダーが成長した時期と一致する。
そのリーダーたちをまとめる、さらにその上のリーダーが育った現在では、自分のやることが、すでに何もなくなってしまったと感じるときさえある。

●私は、多くのリーダー格の人間に出会うことができたという点では、非常に幸運であった。図面を書く人間は施工図・設計図あわせて現在80人ほど居るが、それらを引っ張る7、8名ほどのリーダーたちが、当初は全員、20名ほどのスタッフの中に含まれていた。このことを考えると、背筋がゾクっとするほどの奇跡を感じる。まるで「リーダーのスープ」であった。
ところが、2年経ち3年経ち、拡張と補充のために何度採用を繰り返しても、一向に彼らに匹敵するようなリーダーシップを持つ人間が入ってこない。いや、ひょっとしたら入ってきているのかもしれないか、育ってこないと言うべきだろうか。もっと言えば、育てることができていないのかもしれない。
一時期、会社の中で「あいつに続くリーダーは誰?」「いやぁ、なかなか後が続かないんですよ。」という会話が、よく起きるようになった。多分、1年前くらいのことだ。

●ここで、会社の方針として2つの大きな分かれ道があると思う。
1つは、リーダーを外から募集し、高めの給料で最初からリーダーとして採用する方法。
もう1つは、採用時は一般CADとして採用し、内部でたたき上げてリーダーにする方法。
私たちの会社では後者の方針であり、全員一律の1万ペソでの採用だ。たとえ前の会社でリーダーの経験があったとしても1万ペソ。学校を卒業したばかりの新卒でも1万ペソ。前の給料が1万8千ぺソだったとしても、うちが出せるのは1万ペソ。エンジニアの資格があろうが1万ペソ。
つまり、リーダーがなかなかいない!とボヤく一方で、1万ペソという敷居を設けている。自らリーダー格の人間が入社してこないような制限を作っていることになる。
つまり、本当にリーダーのできる人間は、前の会社でも高い給料だったはずで、そういう人を雇いたければ、採用時に1万5千とか2万を覚悟しないと、いつまでたってもペーペーしか入ってこないこともありえる。

●一律1万ペソで採用しているのは、過去の痛い失敗があるからだ。最初のころは、それぞれの新入社員の前の会社での給料を考慮し、1万2千もらっていた人には1万2千を払い、8千だった人にはちょっと増やして9千を払って採用、というようなことをしていたのだ。
これはたいへんな問題を巻き起こした。
「同じ試験、同じ時期に採用されていて、なぜ差があるのか!」と同時期に入った人間は不満をいい、「なぜ新入社員の給料のほうが、3年ここにいる俺よりも高いのか!」と、既存スタッフも文句を言った。
今考えれば、不満が出るのは当たり前だった。
さらにこれらの格差を是正するのに、大変な年月が必要となった。つまり、1万2千で雇った人間より、8千で雇った人間のほうが優秀だったというようなことが頻繁に起きる。すると、毎年の昇給でちょっとずつ差を縮めていくより方法が無いわけで、入社時の失敗を、その後、数年間引きずる羽目に陥った。
当時は、社員が来てくれるかどうか全く自信が無かったので、なるべくいい給料を提示してひきつけることばかり考えていたから、このようになってしまったのだ。

●その後、一律の給料で雇うようになり、問題は急速に無くなっていったが、今度は、1万ペソでは即戦力となりえるリーダーを拾うことができない、という問題が発生した。
そこであるとき、試験の結果が一番良かったUP卒の女性を特例として1万2千で雇ったことがあった。幹部候補生としての採用である。初めての試みだった。
ところが。
全然だめだった。
面接では、自分は前の会社で何人かのグループを引っ張っていたとか、格好いいことを言っていたから、こっちも「早くリーダーになれるようがんばってくれ」とか何とかいったのであるが、いざ集団の中に突っ込んでみたら、リーダーシップのリの字もなかった。
最初から給料が高かったので、その後大きく昇給をさせるわけにもいかず、もてあましているうちにドバイに行ってしまった。私は内心、「行ってくれてよかった」と思った。ここにいても、幸せにしてあげることができないことがわかっていたからだ。

●このような経緯もあって、私は「外部からリーダーを連れてきて、リーダーとして機能させることなど、本当にできるのだろうか」という強い疑問を持っている。
外部からリーダーを連れてくることに絡む問題は、次のようなことがある。
・その会社の独自のスタンダードを習得するまでの間のポジションはどうするのか。
(特にローカル企業での経験は役に立たないので、叩き込むのに相当な期間が必要となる)
・部下が、突然やってきたリーダーを心の底から信頼するだろうか。
(肩書きを与えれば表面的には服従はするであろうが、それは我々の目指すところではない。)
・会社の文化の継承は可能なのか。
・そもそも、リーダーとしての適性が無いと判明した場合は、どうするのか。
(6ヶ月以内に判断し、だめなら解雇するしかない。しかし6ヶ月間では実務上のスタンダードの習得はできないので矛盾をはらんでいる。)
一方、一律採用し、内部で叩き上げる方法には、以下のような問題がある。
・最初の給料がリーダーとしては低いので、真にリーダーシップのある人間もふるいにかけられてしまう。
・時間と手間が掛かる。(2年 ~3年)
・時間が掛かるので、最初からリーダーを目指している人がいたとすると、待ちきれずに転職してしまう。(フィリピン人はせっかち)
・思ったように育たない、育てられないということが起こりえる。(日本人および既存のリーダーの力量に大きく左右される)
外部から連れてくる方法でうまくいっている企業も多いだろうし、叩き上げだけでやっている企業もあるだろう。どちらの方法が良いかどうかは、容易には判断できない。
現実にはミックスでやっている会社が多いのだろう。

●さて、内部叩き上げ方式がいいかどうかはまあよいとして、「強いリーダーがここ数年、入ってこない、あるいは育ってこない」という問題は何なのだろう。これについては、最近はこのように考えるようになった。
ある程度組織が固まってきてしまうと、育つものも育たなくなってきてしまうのではないかということである。
いくら伸び盛りの人間が存在したとしても、現実にリーダーのポストがポッカリとあいているわけではない。このような状況では、育て!と言っても無理があるのではないかということだ。育ったところで、行き先が無い。
(現実に私だって、4年前と同じポジションで同じ仕事をしている。これほど下のものにとって迷惑なことは無いだろうに)
ところが、会社を立ち上げる時期というのは、すべてのポストがガラ空きだ。それに加えて、あらゆることを、日本人とフィリピン人が一体になって試行錯誤しながら進んでいく、なんともいえない興奮がある。
この環境が、潜在的なリーダーシップのスイッチをONにするのではないか。
今考えれば、偶然に「リーダーのスープ」にめぐり合ったのではなく、何度新しい組織の立ち上げを試みても「リーダーのスープ状態」に、高い確率でなるのではないか、という気がするのである。

●それともうひとつ、重要なことに気づいた。
3年前は、チョコンとCADの前に座って、言われた通りの仕事をしていた、かわいらしい子が、いつの間にか資料を片手に、教官のようにメンバーの間を歩き回る強力なリーダーになってしまった。
その光景を見て、リーダーシップそのものを要求することは間違いなんだ、と思った。
自信がつけばリーダーシップも自然に芽生えてくる。
自信が無いうちは、リーダーシップはどうやったって発生しようが無い、ということ。
リーダーシップを身につけてくれ!と願うのは間違いであり、リーダーシップを身につけるには、自信。
その自信を持たせる唯一の方法は、練習であった、いうことだ。

●4年2ヶ月経った現在では、もちろん立ち上げ時期のような興奮的状況は皆無である。
壁にはバッチリと組織表が貼られ、入社と同時に3週間の研修があり、マニュアルが手渡される。これから新しく手を出していこうという分野もないし、今後、急速に規模が拡大するわけでもない。
社員が入社する一方で、辞めていく人間は後を絶たない。それでも、同じ毎日が続く状況は、まるで栓の抜けた風呂に水を注いでいるようなものだ。
今日、「がんばれ社長」というメルマガに書かれていた記事が、印象的だった。


黙っている者は忘れられる。
控え目の者は言葉尻をつかまえられる。
進まなくなった者は退く。
止まった者は追い越され、後回しにされ、踏みつぶされる。
成長を止めた者はもう衰え始める。
中途で放る者は断念する。
停滞の状態は終局の始まりで、死の前ぶれになる恐るべき前兆だ。
そこで、生きるとは絶えず勝っていくこと、我々の物質的精神的存在の絶滅、疾病散佚に対して自己を肯定して行くことである。
生きるとは従って休みなく欲すること、もしくは日ごとに自分の意志を取り直して行くことである。