フィリピンに成果主義はそぐわない

この記事は2003年頃(35歳のとき)に書いたものの転載です。物価、社会情勢等は当時のままですのでご了承ください。

●久々に面白い本を読んだ。『虚妄の成果主義』高橋 伸夫
日本の年功序列、終身雇用というシステムがいかに優れていて、成果主義がいかに欠陥だらけであるかを説いた本だ。
ところがこの本、アマゾンに掲載されている書評を読むと評価がかんばしくなく、特に経営学の専門に学ぶ人からはボロクソのようだ。でも私には、ものすごく面白かった。フィリピンで実際に、スタッフの評価、給与やボーナスの決定、モチベーションをいかに高めるかなど、年がら年中考えているせいか、「そうだ、そうだ」とうなずける記述があちこちに出てきた。

●以前この記事で、『出来高制はフィリピンにはなじまない』『成果とお金を結び付けるべきではない』と書いたが、同じ趣旨のことがこの本にも書かれている。
面白い例として、ユダヤ人の靴屋の話が載っていたので紹介する。
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第一次大戦直後、あるユダヤ人が米国南部の小さな町に仕立て屋を開いた。しかし貧しい少年たちが店にやってきて、「ユダヤ人!ユダヤ人!」と叫んで彼を困らせた。
ある日店主は少年たち一人ひとりに、彼を侮辱することに対して1ダイムを支払うことに決め、実際に支払った。少年たちは満足して次の日も叫びにやってきた。店主は支払いを1ニッケルに減らし、次の日にはさらに1ペニーに減らした。最後には少年たちは叫ばなくなってしまった。
この店主は少年たちがユダヤ人を差別することによって得ていた満足感を、お金を与えることで、叫ぶ行為そのものから切り離すことに成功したのだ(つまり「職務遂行―賃金―満足感」という関係)。したがって、支払いが止まると、人は職務の遂行を止めてしまうようになるのだ。
同じことが成果主義システムにも当てはまる。成果主義システムの導入によって、いちど社員の満足感を給与に結びつけることで、職務の遂行そのものから切り離してしまうと、社員はもはや何かを達成したということ自体からは満足を得られなくなる。したがって満足感を得るために、職務に応じた給与を要求するようになる。もし彼らが給与に満足しなくなると、職務の遂行をやめてしまうのだ。
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簡単に言えば、成果に応じた報酬を払っていなかったころは、やりがいを感じて働いていたのに、「その仕事に対してこれだけを払おう」と余計なことをしたばかりに、せっかく感じていたやりがいがどこかへ消え、仕事=お金と言う図式になり、ついには「これだけしかお金がもらえないのなら働いても損だ」「この仕事はいくらもらえるのか」、などと感じるようになってしまう、ということだ。
そしてさらに、フィリピン人にはここに書かれている傾向がさらに強く現れると私は思う。一旦、仕事 金という図式が出来てしまうと、もう元には戻らない。彼らにとって、あまりに刺激が強いからだ。
繰り返すが、出来高と報酬を結びつけることは、一見素晴らしいアイデアのようであるが、非常に愚かなシステムである。フィリピンに来ると、一度は誰でも考える。

●では、成果を上げた者を給与で評価せずに、全員一緒の昇給をさせればいいのかというと、これもまた違う。
この本によると、「全社員のうち、実際に能力に差があるのはダントツに優秀な数%とダントツに出来の悪い数%で、あとの残りのほとんどは明らかな差などなく、いちいち細かく差をつける必要は無いし、そんな時間ももったいない」ということだ。
この記述は非常に痛快で気持ちが良い。実際、あてはまっている。
またこのようにも書いている。「ダントツに出来る者というのは誰に聞いてもダントツに出来るという評価なので、客観的基準など不要だ」というものだ。
これもなるほど、という感じだ。成果主義だとか、目標達成度とやら馬鹿げた基準を持ち出すと、なぜか普通の人間がAクラスの人間と同じ点になってしまったりという奇妙なことが起きてしまう。

●私も実は2年位前に、今のフィリピンの事務所で到達度シートみたいなのを作成し、全員にチェックマークを入れさせ、それで評価をしようと試み、実際2回ほど使ったことがある。
すると、Cだと評価していた人間とAと評価していた人間の差がなくなり、なんとかして、無理やり差をつけたりして、しまいには、何をやっているのかわからなくなってきた。自分がバカにしている親会社の目標達成度による評価方法を、自分でいつのまにか作っていたのだ。
今ではそれを完全に廃止し、「スタッフの評価は責任者の完全に主観的な判断ですべきだ」という考えに至った。
これはかなり乱暴な理屈なので、事務系の人間は面食らうだろう。
「ええと、この事務所ではスタッフの評価基準はどのように考えているの?」
と事務担当の人が私に聞く。
「特に無いです」と私
「何にもないの?」
「前はありましたが、今はないです。」
「そういうのは説明のためにもあった方がいいんじゃないの?」
「いりません。出来るやつはA。出来ないやつはD。そういうことです。」
「・・・」

●結局、私なりに考えた毎年のスタッフ給与・ボーナス決定のプロセスはこうだ。
1)普段からの綿密な観察と時間をかけたインタビューで評価を決める。
2)ダントツトップ(ブラボー!)とダントツビリ(辞めてよい)を決める。
3)残った中間層をBとCくらいに分ける。
4)それぞれのグループに金額をエクセルで割り振って社長に提出。
観察とインタビューは別にして、残りの作業はものの数十分で終わりだ。
実は社員に突っ込まれたときのために、個人別売上高といった、客観的バックデータの統計もとってはいるのだが、主観とかけ離れることが無いことと、評価というのは、データでは計れない点があまりに多いため、活用していない。

●スタッフの評価方法に悩んでいる人は、あまり深く考えずに、この際「全て主観で決める」と言い切ったほうがいい。いろいろな方面からの情報を集めた上での自分の主観というのは、かなり正確なものだ。